所詮僕なんかじゃ君のhydeになれなかった・・・話
(=△=)どうもエリックです
僕が中学~高校生の時流行ってた音楽といえば女性アーティストならSPEEDやモーニング娘や浜崎あゆみでしたが 男性アーティストはGLAYやL'Arc-en-Cielの全盛期でした
女子はキャーキャーいうてました
僕もGLAYやラルクは好きだったのでCDを買って聞いたりカラオケでは歌ったりもしました
高校の時 友達がラルクのアルバム(タイトルはわすれたw)を貸してというので学校に持ってくると
渡すときをみていたSさんが
「それって○○○(アルバム名)よね?ラルクの」
『そうそう』
「だれの?」
『俺の』
「エリック君ってラルク好きなん?私も好きっちゃん」
『そうなんや ラルクいいよね』
とそれ以来今まで話したこともなかったSさんとはラルクの話題とかで話すようになり
数ヵ月後お付き合いをすることになった
新曲がでればその日に買って家で何回も聞き歌を覚え 次の日CDを彼女に貸して
もう覚えたよー とかいって彼女の前で歌ったりもした(歌はうまくないがw)
カラオケではお互いラルクの曲しか歌わない 『ラルク祭』などもやった
そしてある日 彼女がいったのです
「『HEAVEN'S DRIVE』のさー hydeかっこいいよねー」
『あぁ~かっこいいよね』
「エリックちゃんもさー あの髪型にすればいいやん」
『いやいや~ おれじゃ似合わんよ~』
「いや絶対似合うって かっこいいって やってみてよ~」
ちなみにHEAVEN’S DRIVEの頃のhydeの髪型は
彼はいつも髪は長いがバッサリ切った頃
しょ・・・しょうがない・・・・やるか・・・・
僕は短いのがあんまり好きじゃなかったので髪はいつも長かったが
絶対似合う とか かっこいい言われて調子こいてたのもある
なにより彼女に喜んでもらいたい
そう思い僕はhydeがのってる雑誌をもって美容院にいった
そして担当の方に 「このhydeみたいな髪型にしてください」
恥ずかしかった・・・・こんなイケメンでもないブサイクが何をいってるんだ・・・
鏡見ろ・・・・そう思われるような気がした
『わかりましたー』 そういって担当の方は切り始めた
そして切り終わり鏡を見た僕は 唖然としながらも思った・・・
に・・・にあってねぇ~・・・
担当の方が下手ではないワックスをつかってにたようなながさにはなった
あくまで僕の顔に髪型がにあってなかったのである
よくかんがえたら俺天パーやし ワックスつかってたててもツンツンならず
フニョっとした感じになる・・・
これはいかん・・・どうしよ・・
家に帰った僕は一応彼女にメールをした
『髪きったよ~』
「ほんと!?すっごく楽しみにしてるね」
当時携帯にカメラという機能がついていない時代だったので
みられるのは次の日の朝 彼女が乗ってくる電車
そして次の日 いつもより30分くらい早く起き
洗面台でずっとワックスを使い 鏡と雑誌をみながらツンツン立てた
ちがう こんなんじゃない あ~でもない こ~でもないとブツブツつぶやきながら
そしてどんなにしてもおかしな感じである くそっ泣きそうだ
母と妹からは「何かっこつけてんの?」といわれ
『うるっせ!俺は今日が正念場なんだ』といいながら洗面台に張り付き髪をイジイジした
そしていつもより早い時間に家をでて髪型がくずれないよういつもよりゆっくり自転車をこいだ
僕が乗った電車の2駅先で彼女が乗ってくる
心臓がバクバクだ・・・
そして彼女が乗ってきて僕探す
そして僕をみつけると嬉しそうにニコニコしながらちかづいててくる・・・
だがしかし・・僕の髪型をみるなり
「に・・・似合うね かわいいかわいい」
口ではそういったものの目は
思ってたんとちゃう全然hydeじゃない・・・・感が半端なくでている・・・
写真が残っていれば貼りたいとこだが 探してもなかった
クラスでも なんやお前その髪w まじうけるw めっちゃ変w
など笑われた
その晩俺はちくしょうちくしょうと叫び、泣きながらドラッグストアに走り
当時髪が伸びるの早くなるといわれてた 2001 というシャンプーを買うのでした・・・
お
今どきの元サッカー部
(=△=)どうもエリックです
今から2か月ほど前に入ってきた21歳の期間従業員N君がいるのですが
なんというか覇気がないというかおとなしいというかしゃべらないんですよね
笑顔も見たことない
僕の隣で作業しているので時間があるときに話しかけたりするのですが
「あー・・はい」とか聞いたことに対してはちゃんと返してくるので
言葉のキャッチボールはできているのですが
向こうから投げてくることがないんですね
反応うっすいうっすい
入ってきて3週間くらいたったころ
「あのぅ~エリックさん」
おっ!話しかけてきたーーー
『今度の飲み会って参加しないといけないんですかねぇ~・・?』
(=△=)・・・・・・
「まぁ~Aの送迎会やけどNの歓迎会でもあるから用事がなければ参加したほうがいんじゃないかな?」
そんなやつである 帰る時も一人でかえる 休憩時間もスマホをいじりほかの人としゃべろうとせしない
きっと学生時代は帰宅部とか文化部とかでうちの会社みたいな体育会系みたいなやつらとは合わないんかな・・・・
「Nってさー 学生時代は部活とかしてた?」
『サッカー部でした・・』
ええええぇぇぇぇぇぇーーーーーーー!!!!???
サッカー部経験はないが 僕が見た文献からするサッカーのイメージは
朝ドリブル練習しながら新聞配ったり
11人抜きして伝説となったり
スカイラブハリケーンを防ぐためにゴールポストにのぼったりする腕白なスポーツじゃないのかーー!!!
(↑これはあくまで漫画だがw)
1年の試合に出れないときは声だし
声小さかったら怒られる
試合に出れるようになればボールをもらうために声をだし
ボールを奪うために敵の足をスライディングで削りにいき
ユニフォームをひっぱってポジション取りをし
ゴールを決めれば 叫びながらコーナーポストにダッシュして
『俺が決めたぜアピール』をするんじゃないのかーーー!!
今時のサッカー部ってそうなの? 声出さないの?
運動部出身といえば 明るいし よう喋るし ちょっと図々しいし そんな感じやけどなー
同僚(同い年)にいったことがある
『あいつさー まったく喋らんよねー?』
「まぁ~今時のやつって感じやな」
『おれ結構あいつがなじみやすいよう話しかけたりしよるんやけど 反応うっすいうっすい』
「お前のことが嫌いなんじゃね?」
(=△=)・・・・・・・
ははぁ~ん なるほどね・・・・ そうきたか・・・
(=△=)しょぼーーーん
しらない人に伝えるのは難しい(フルマラソン走るきっかけ編)
(=△=)どうもエリックです
このブログで何回も書いているが僕は普段トレーニングとしてランニングをしています
きっかけとしては24歳の頃会社の行事で社内駅伝があり、当時僕は派遣社員だったのですが
「社内駅伝のでれば社員になれやすい」という情報をキャッチし出場を決めます
各課対抗で8区間ある大会です1区が3.5キロであとは2.4キロの区間が3つ 1.1キロの区間が4つです
大きな会社ですので80チームくらいでます(各課数チームでてもいい)
当時週に一回バスケをやっていたので走るのはそこそこいけて大会ではそこそこいいタイムで走れました
そこでうちの部署の上司に目がとまり 社員に・・・・・なることはできずw
「お前みこみあるから一年間通して走れ」とか言われました
こんなお金ももらえない会社行事のために1年間通して走るとか意味が分かんない・・・・・
しかし当時太っていたので(75キロ)ダイエットにいいだろうと思い走り始めました
走り始めて2ヶ月後上司から出ろといわれた大会の直方市であった新春マラソンに出場
種目は5キロ初めてのレースです
完走証は残っていませんが 20分08秒でした
そこから走ることにのめり込みます
そして1年後75キロあった体重は57キロになりました
久しぶりにあった人には病気か?と言われました
数回大会にもでて5キロの大会にしかでていませんが17分30秒くらいまでになりました
そこからしばらく社内駅伝以外のレースにはでなくなります
ただ走るのが好きだったので別に大会などでなくてもいいのです
そして数年後職場の人に言われるのです
「お前走っとるんやろ?速いん?」
・・・・・どうなんだろう?・・・・
大会とかでは半分よりは確実に前の方だが知り合いでももっと速いしなぁ~
「5キロ17分半くらいです」
「それって速いん?」
たしかに知らない人は5キロ17分半とか言われてもわからんやろな~
「フルマラソンはどれくらいなん?」
「フルは走ったことないです」
フルマラソンならわかるかなぁ~と思い そこでフルを走ってみようと思うのです
どうせなら僕の生まれ故郷大分県で開催されている別府大分毎日マラソンを走ろう
と思ったが別府大分毎日マラソンは3時間30分切っている人しか出れない大会らしい
なのでどこかの大会(陸上連盟公認のレース)で3時間30分をきらないといけないということで始めて出場したフルマラソンが4月に行われた「さが桜マラソン」である
今まででていた5キロと42.195キロは同じ走るのでも全然ちがう
3ヶ月練習してレースを走った結果が・・・
これである
26キロで足が攣り初マラソンの洗礼をあびる
そこから歩いたり走ったりを繰り返しなんとかゴール
体中が痛い・・・
そんなこんなで無事3時間30分をクリアした僕は別府大分毎日マラソンの出場資格を得たのだ
そして8ヶ月後の別府大分毎日マラソンは・・・
現在の自己ベストを叩き出す
3時間30分以内しか出れない大会だけあってこのタイムでも285位・・・・
でも実業団とかでもでるのでこんなもんか・・・
その3週間後にでた鹿嶋祐徳ハーフマラソンでもハーフマラソン(フルマラソンの半分21.1キロ)では
ここでも自己ベストを叩き出す
そして月日が経ち また聞かれるのです
「エリックって速いん?」
「フルマラソンは2時間44分くらいですよ
すると
それってはやいん?
だ・・・だめだ・・・伝わらない・・・
速いと自信をもっていえるくらいのタイムをだそうとこれからも日々努力をしようと誓ったエリックなのでした・・・・
よだきいわぁ・・・
罰ゲームが罰ゲームにならなかった話
(=△=)どうもエリックです
僕が高校の頃は友人達と昼休みのトランプやUNOとか休日に遊びにいったりした時など何かにおいて罰ゲームをかけてあそぶ習慣がありました
その中の一つに中間テストや期末テストの合計点数ですらも最下位のやつにも罰ゲームをかけてました
国語(古文、現代文)数学、理科(化学、生物)、社会(日本史、世界史)、英語(リーディング、ライティング)の合計点で競ってました(音楽とか家庭科とか保健体育はなし)
罰ゲームをしたくないが故にしっかり勉強したのでクラスでも上位でしたw
今思えばこれはよかったのかもしれん
そして三年生最後の学年末テストの罰ゲームは・・・・・「好きなやつに告白」というなかなかのアレでした。
好きなやつがいなければ ウチ高校は某有名神社の近くなのでお土産やがたくさんありお土産屋の入り口においてあったご当地限定プリクラ(かなり古い機種でダサい)を一人でとって ゲーセンへ行き女子高校生とそのプリクラを交換しなければならない といったものでした
そして僕たちは受験もあらかた終わっている中必死で勉強しました
そして結果は・・・・・エリックではなく
T君でした
T君は今までに彼女もいたことがなく同じ学校に好きな人がいなかったのでプリクラ交換の罰ゲームをうけることになりました
そして一人で撮ったダサいプリクラをもってゲーセンへいきました
そしてプリクラを撮ってでてきた違う高校の女子に話しかけにいきました
僕たちは隠れて見守ります
1組目・・・・「いや・・・いいです」と逃げられました
そしてしばらくたって 違う女子高生2人に話しかけます
「今とったプリクラと俺のプリクラ交換してくれん?」 といって自分のプリクラを見せる
すると・・・・
「なんで一人で撮っとーとwwしかもこのプリクラ古くない??ばりウケ~ww」
と反応が良く交換してもらったのです やったぜ
暫く見ていると携帯を取り出し番号まで交換しやがったのです 交換するのはプリクラだけでいいというのに・・・女子高生2人の番号までゲットしやがった・・・・ちくしょう
そうして僕たちは卒業し学校が離れ離れになりました
実際T君はどちらかというと高校では話したりするが休みの日はあそんだりしない言わば高校だけの友達みたいな感じだったので(今思えばなぜテストの罰ゲームの賭けのメンバーにはいっていたかもわからん・・・)卒業してからはあったりしなくなりました
卒業して1年くらいたったころ天神でばったりT君に会いました
そして話しているとなんとT君は プリクラ交換した2人のうちの一人と付き合っていたのです
ガビーンヌ!
それからまた合わない日が続き
1カ月前またまたばったり会ったのです
話していると4年前に結婚したらしい
ま・・・・・まさか・・・・・
そうです その子と結婚したのです
そして今日ラインが来ました
「2人目生まれたよーー(^^)v」
罰ゲームだけど罰ゲームじゃなかった
ちくしょ!
~終わり~
難関をクリアする(宗像ユリックスリレーマラソン)
(=△=)どうもエリックです
土曜の夜~日曜に宗像ユリックスで行われた宗像ユリックス24時間リレーマラソンに岡眼科チームの助っ人で参加しました
1周850mのコースを24時間で何周できるか というリレーマラソンです
1人で何周走ってもいいし 1週交代でも良いです
僕は土曜夜勤だったので仕事のあとに近いので職場から直で向かいました
会場に着くとすでにぶっちぎりの1位
深夜3時から4人で1周交代でまわりします
しかし5本目で左モモ裏に痛みがでて ここで離脱
ほんま おれ つかえん・・・・
走ってない間はタイムをとったり応援します
しかしこのチーム金のかけ方がハンパないです
昨年は150万つかったとか・・・・
下の肉はなんと松阪牛です
秘伝のタレにつけて焼きます
やばいくらい旨い
朝になり帰る予定でしたがこのままフィナーレまでいることにしました
眠い・・・・・
これまでの大会記録502周で503周を狙うにはこのままでは厳しい
残り2時間また走ることにしました
12人くらいでガチンコで回します
円陣を組んで気合をいれます
「俺たちは強い!!」(それスラムダンクやw)
1周2分50秒以内で走れば達成できます
皆疲れているので結構厳しい
僕が一番休んでいるので俺が稼いでやる
1本目 2分26秒
よっしゃー!24秒稼いだ
それから皆2分45秒近くでしっかり走る
ゼェゼェ ハァハァ おえっ!
みんな死にそう
ここで2本目が回ってくる
岡眼科の女性陣の黄色い声援がパワーをあたえてくれます
「えりっくさんがんばってくださーい」
「はやーい」
「えりっくさんかっこいいー(←これは幻聴w)」
2分31秒 よっしゃー
ラストはリーダーNさんが次の走者に繋いだ時点で新記録になる
残り4分 これはもらったー!!
いけー がんばれー
そしてNさんがタスキリレーゾーンで次の走者にたすきをつないで503周を達成
のこり1分20秒 ギリギリでした
さいごの走者はゆっくりウイニングラン
みんな握手し抱き合い 健闘をたたえる
リーダーNさんは涙し またもや涙腺の弱い僕はもらい泣きしそうになる
これまでの大会記録は自衛隊?機動隊?の男子のみのチームでだした記録なので
女子も含めて出した僕たちはかなりすごい
結局一睡もせずだったのできつかったなー
でも何が一番きつかったかというと
帰って2時間寝たあとに やったバスケ
今日おきたら体中バッキバキです うごけん・・・
あの頃何があった・・・・?
(=△=)どうもエリックです
先日のおじいさんの四十九日で親戚の人に言われたのですが
エリックちゃんはね昔は暴れん坊でよく走り回っとったんよ~
まったく身に覚えがない・・・・
僕はずっと大人しかったんじゃないのか・・・?
そういえば親父の葬式の時、大分住んでた時のご近所の人も言うてた
エリックちゃんおとなしくなったね~ まぁ~葬儀場で走り回る奴なんておらんやろ(当時27歳)
あまりにも暴れん坊だった自覚がないのでアルバムを開いてみた
するとでてきたのです 暴れん坊だった証拠が・・・
もちろん右が私である 89年9月9日 なので6歳になったばかりの頃だろう
ははぁ~ん なるほどね・・・・・これは暴れん坊とか言われても仕方ないな・・・・
さらにでてきた
なんだこのクソガキは 腹立つ!
もちろん私である
この6~7歳くらいの時に何があったかは分からないが
とりあえず今は正常なのでなんとか修正できたのだと思う
よかったよかった・・・・・ほんとによかった・・・・
よだきいくせ毛&結婚式
(=△=)どうもエリックです
僕の父は天パーであり 母も天パーである
もちろん兄も天パーであり 僕も天パーだ
なぜか妹は天パーではなく 軽いくせ毛程度である
くそっ!!ずりーぞ!!
天パーの人はこの苦しみをわかっていただけるだろう
雨の日はもう爆発である
もちろん天パーというあだ名をつけられたりすることもある
まっすぐなくせ毛のないやつから
「わざわざパーマかけなくていいから便利やん」とか言われると殺意を覚える
そんな天パーのサラブレッドである僕ですが本日結婚式に行ってまいりました
ランニング仲間の結婚式だ
おめでとう
黒のスーツに 黒のシャツ 黒の靴下と黒ずくめである ネクタイは赤にしたら
妹より ホストかっ! とつっこまれました
髪はお風呂に入りながら 櫛でまっすぐなれー まっすぐになれーと 伸ばしながら乾かしました
数年ぶりにワックスなんかもつかいました
そうして可能な限り髪をまっすぐにしたなった私が
これである 若干右耳の前がうねっとなってるがこれは個人的にセーフである
そして会場につき結婚式を迎える
最近はいつもそうですが 最後つられて泣きそうになります
反則です 今回は新郎が泣いてました 他所をみながらグッとこらえます
そして式が終わり 同じ席のラン仲間と写真を撮りましたところ・・・・
後ろが・・・後髪がボワッと広がっとるーーーーー
ワックスでも無理だったかー 俺のくせ毛ーーーーーー
ちきしょう!!
きっても広がるんだなぁ~
ちきしょう
くせ毛のばかやろーーー
くせ毛よだきいわ!!